第19回ポストM&A研究会の活動レポート

2022-12-01

株式会社OPAL 元社長 矢野三興氏講演

本日のテーマ「カーブアウトされた事業の収益化とMBO経験」

今回は、株式会社OPALの元社長の矢野さんをお招きしました。矢野さんは、レナウンからカーブアウトされて新設された、株式会社OPALの社長として経営をされてきました。その後、MBOを経て、”第2の創業”を経験、2021年に他社への自社売却をされています。
今回は、カーブアウトされた事業を経営する難しさや、価値を高める上でのポイント、企業文化形成の工夫、そして、MBO前後のギャップ等についてお話を伺いました。

当日の内容をダイジェストでご紹介いたします。

 

経営再建に携わるきっかけ
「私は大学を卒業したあと、北海道の商社である楢崎産業に入社して、そこで管理部門で様々なことを経験してきました。そこで勤めている間に日本の企業の中でもバブルの時期があって、バブルが弾けた時にこの会社で当時人事課長していたのですが、バブル崩壊への対応に苦労しました。会社の中でも大混乱だったのですが、とにかく人員削減しろという一方的な命令がありまして、相当な数の人員を整理しました。不況で当時の会社の経営状況も厳しかったので全員自己都合退職させるという手法をとって自分でやりました。」

「それを一通り終わったところで自分自身としては非常に疑問に思っていました。世間でも企業の財産は社員で企業は人で成り立っているということをよく言っており、私のいた会社も同じことをずっとバブルの時期までは言っていた訳なのですが、そのような状況になると途端に人を切っていくということがどうしても理解できなくて、自分はそれをどうしたらいいのだろうかと思っていました。そのような時に、単にリストラだけじゃなくて本当に事業の改革を推し進めて行くことの重要性を指導・アドバイスするターンアラウンドマネジャーという職業がアメリカにあり、これから日本もそういった職業が盛んになってくるということをある本を読んで知りました。自分もそれにチャレンジしてみようと思い、いろんな方にお話を伺いました。」
 
東京納品代行における初めての事業再建
「そのような志で次に勤めた会社が東京納品代行です。この会社は百貨店の納品代行事業アパレル物流を主体にやっていて、当時は日本のアパレル物流では売上ナンバーワンの会社でした。しかしこの会社は債務超過に陥るほどの多額の借金を背負っていたので、社長と相談しながら事業の再構築のために様々なことをやりました。結果的には一度は赤字が黒字にも転換できて、再出発できる状況があったのですが、残念ながら金融危機やリーマンショックがあり、再び経営状況が悪化してしまいました。最終的にはセンコーという物流の大手に相談して、M&Aを行って買収してもらい、子会社になりました。この時、私としてはM&Aという感覚よりもとにかくこの会社を引き続き存続させるためにはそのような手法しかもうないだろうなと思い、当時社長に説明して決断してもらいました。」
 
矢野さんのOPALでの経験~ファンド傘下から、MBO、売却~

ファンド傘下期
「その後私は引き下がり、当時70社ほどの子会社を持っていた東京コンピュータサービスホールディングスに入って関連企業管理本部長に就任し、上場企業を中心に子会社の経営指導をして歩いていました。その中でも2,3社のM&Aを私が実行しました。ここの場合は会社の経営状況の問題ではなく、会社が拡大したいという強い思いのもとに新規の上場企業の買収や、既存の上場企業を分社化して一部事業を売却するということを行っていました。」

「そのような仕事をしている最中にMITコーポレーションというファンドから、レナウンの事業再生のために力を貸して欲しいということで平成23年3月に社長として就任させていただきました。当時レナウンは10年以上赤字が続いているという非常に厳しい状況で、会社としては出すブランドが全てうまくいかずに四苦八苦しているという状況でした。レナウンの物流を全面的に受けて運営していた子会社のREDUロジスティクスという会社もずっと赤字が続いているという状況でした。MITが作り上げた、全面的に物流内容を見直すことによって必ずREDUロジスティクスを黒字化します、という提案内容を私が見させていただいて、どこまでできるか分からないが協力しますという話で入社させていただきました。」

「入ってみて最初に驚いたことは、そのような経営状況にも関わらず、レナウンの社長をはじめ社員の皆に全く危機感がなかったことです。非常に責任感が乏しい役員の方々また本部長クラスの方々ばかりだったので、こんな会社で本当に大丈夫かと最初は思いました。しかしそれは関係なく、REDUロジスティクスからファンドがOPALという新しい会社を作って、それを受け皿に物理事業全部を引き継ぐという形だったので、新会社になって組織も一新されるのだから、ともかく物流の改革をきちっとやっていけばいいだろうということになりました。そこでファンドが作られた改善改革計画だったのですが、社員数をもとの500人から10人に減らし、別の物流の専門会社を傘下に入れて、そこに全部やらせるというものでした。私はどちらかというと現場主義で、現場の中で改善していくことが重要だと思っていました。そのため、ファンドの案に対して私は非常に反論をしました。実際問題、物流というのは確かにスマートな部分も大事ですが、やはり現場をどうするかということが一番大事なことです。簡単な例で言うと、物流会社が大手であっても、管理部門の人間は一番のピークの年末などの時期になると、全員が現場に出て労務作業をするという場合が圧倒的に多い。そのような業界の中にあって、元REDUの幹部の方々は、現場の仕事は下請け企業に全部任せており、自分たちは何もしていないという状況でした。私としては、当社は物流企業なのだから、まず自分たちがちゃんと物流の勉強をしなさい、実際に現場で仕事を一緒にしなさいというように指導をしていました。とにかく当時のOPALの社員500人を10人にするという案は、そのファンドとも話し合いをしながらいったん取り下げてもらい、ちょうど半分ぐらいの人を残すようにしました。その後、実際に自分たちでやってみて様々な改善改革をさせました。」

「レナウンの方からは、従来の経営陣ができるリストラは、製品含め全部やっていますという話だったのですが、実際自分が入ってみると、私の目から見ると全く何もしていないという状況でした。またコストも非常にかかっている状態でした。わかりやすい話でいうと、稟議というものはなくて、役員や幹部が勝手にその場でどんどん決済しているような状態だったので、稟議制度も導入させました。それから現場は先ほど申し上げたように下請けに丸投げだったので、何をやっているのかも全然見えてないという現状だったので、それを「見える化」していき、少しずつ社員全員が一緒の気持ちになって、この会社の黒字化を押し進めました。最初に行った時は、過去にファンドの傘下で経営をやっていた時期もあったらしく、社員全員がファンドに対して非常に偏見を持っていました。どうせ金儲けのためだけに来たのでしょうという感覚しか社員の方にはなく、矢野さんも結構高額な給料貰って楽しんでいるだけじゃないの?というような雰囲気がありました。私としては、本当にOPALっていう会社を生き残らせるのだと、何度も何度もお話をし、私の経営の技法の一つにある個人面談をやっていました。全社員と年に三回ほど、三十分以内ぐらいなのですが、必ず一対一で色んな話をするということを心がけてやってきました。最初の頃は一言もしゃべらない社員がたくさんいて非常に苦労しましたが、それを何回も続けていくうちに二年後三年後には、むしろ逆に個人的な悩みなんかも言ってくれる社員が出てきたりして、大分私自身もとけこめたのではないかと思っています。そのような中で、社員全員でこの会社を黒字化して将来も生き残らせていくためにはどうしたらいいのだろうかということを様々な場面で話し合いをし、意見を聞くということなどをしてきました。またパートは所詮パートなのだという感覚がはびこっていたので、パートが本当の戦力なのだという考えを持つ私としては驚き、パートと一緒に昼食会を開くなどしました。これには社員が物凄く反発しましたが、戦力としてのパートの重要性を丁寧に説明しました。彼らにも少しずつ理解してもらい、どうしたらもっと効率化できるのかというような話を主体に社員にはフィードバックして、パートから聞いた意見を取り上げたりしていました。」
 
MBO期
「そのような中で、単月では黒字にすることができました。その後3年目に入ってますます発展していこうという頃に、ファンドの方が新たにアパレルの事業を立ち上げたので、その事業の協力ということでOPALも協力をしはじめました。OPALの倉庫内でそのアパレルの物流作業などをしたのですが、このアパレルの会社が倒産してしまいました。この倒産が主な原因だと思われるのですが、レナウンが長期契約の5年ごとの見直し期間によって、5年後に契約を解除するということを通達してきました。今までレナウンの物流がほとんどの売上を占めていたわけですから、突然それがなくなってしまうということで、私としてはもうこれで終わりだなと思った時期があります。しかしそのアパレル会社に共同出資をしていたDBJの方から、MBOをしてみないかということをアドバイスいただき、新たにスタートすることになりました。」

「ただしレナウンの売上が無くなるということで、売り上げが80パーセント以上なくなってしまうため、社員一人一人と話をしました。私は会社の状況を説明して無理してここにとどまることはないという話はしたのですが、管理職課長以上はほぼ全員、正社員も結構な人数の方が残るという話になりました。幸いなことにレナウンの中の一つの子会社とは別契約を結んでおり、この会社の売上が元の売上全体の二割弱ぐらいあったので、この会社の売上をベースにして何とか立て直しをしようとしました。しかしとても社員を食べさせていくのは難しかったので、新規顧客の獲得をしないといけなくなりました。幸いにも先ほどお話しした東京納品代行という会社にいたので、物流関係の様々な方々が知り合いにおり、そういった方々に広く声を掛けて、一年ぐらいかけて受託ができました。」

「そのような中で事業を進めていったのですが、やはり社員自身にレナウン時代の価値観が残っており、そのような状況の中にあっても非常に危機感のない社員もいて、MBOした当初の頃は、バックにレナウンがなくなったのだから本当に終わりだということを理解させるのに非常に苦労しました。特に五年間しかなかったのでMBOまでの間、私としては全力で様々なものを改革しました。少しずつ社員にはMBOについて説明をして、OPALはレナウンから独立した企業であることを指導教育してきたのですが、やはり五年で社員一人ひとりがそういう価値観に大きく変わるということは非常に難しいことでした。私が社長業をしている中で、このことが一番苦労したことです。さきほど述べたような個人面談もずっと続けていました。一人一人、人によって色の濃さが違いますので、非常に意欲の高い人も中にはもちろんいますが、そうじゃない人に対しては丁寧に一生懸命説得をずっと続けていました。OPALのプロパーの人間は当然ながら私の考え方に協調して入社しているわけなので問題はなかったのですが、元々のレナウンのメンバーの人たちをどのように変えていったらいいのかということに、いつも非常に悩んでおりました。私としては経営の方向性として最初に会社の経営方針みたいなものを作って、この方向でやっていくということを明確にしていたので、その方向と違う動きをしたり考え方をした場合は、厳しく指導したりしたことも確かにありました。」
 
売却期
「その後は売り上げも伸びていき、もう少しで黒字化というところだったのですが、残念なことにメインバンクの方から、このままではなかなか支えることが難しいというお話が出てきました。私としては様々に悩んだのですが、やはりどこかいい会社があればそこにお世話になった方がいいのではないかと考えて、令和二年頃に新柏倉庫という企業を紹介してもらい、お話をしました。」

「私が今までM&Aやる中で常に心がけていたことは、トップとまずはよく話をしないといけないということです。東京納品代行時代の時もセンコーの福田社長と何度も会ってこの方だったら大丈夫だと思いお願いしました。同じく新柏倉庫さんの伊藤社長が非常に誠実で真面目な方でしたので、何度も同じく話し合いをして、この方であれば大丈夫だと判断して、令和三年にM&Aの方向性で進めましょうという話を新柏倉庫としました。そして令和三年六月に実際にOPALを買収していただいたという経緯です。」
 
M&Aにとって一番大事なことは人・組織をどのように生かしていくか
「何度もM&Aをやる中で常に思っていたことは、M&Aは確かに技法としては素晴らしい技法だと思うのですが、やはり一番大事なことは現場のノウハウを持っている社員をどう活用していくかであって、そこがうまくいかないのであればうまくいくはずがないということです。またオーナーさんの個人的な能力だとか、オーナーさんの強いリーダシップで結局会社が動いている会社は、オーナーさんが変わってしまうと途端に組織のたかが緩んでしまうといったことが起こりうると思うので、そのような組織はたとえM&Aをしたとしても、やはりしっかりとしたリーダーがそこにつかないとなかなか難しいのではないかと私は思っています。」
 
参加者との質疑応答

Q
「オーナー型の会社からサラリーマン型の会社に変わるのにどのくらい時間がかかるのか、その時に重要なことは何なのかをお伺いしたいです。」

A
「何年かかるかということは私にもわかりません。ただ自分が信頼できるスタッフが多ければ多いほど、早く解決するのではないかと考えています。またオーナー型からサラリーマン型の会社に変えるために自分が常にやってきたことは、社員に当事者意識を持たせ、一致団結させるように仕掛けていくということです。」

Q
「OPALにはレナウン色、REDU色の付いた従業員の方々と、OPALでプロパーとして雇われた社員の方が両方共存されていたと思うのですが、その時にOPALとしてはその企業文化をどのようにして作っていったのでしょうか。」

A
「どのような価値観で仕事をしているのかを見極めて、三カ月後ぐらいに経営理念を発表しました。それはレナウンの持っている悪い価値観を裏返しにして経営理念を自分でつくり上げて、これからはこれまでとは違うということを明確にしました。また理念に基づいて、制度上で仕掛けを作って文化を変えていこうというようにしました。」

Q
「ありがとうございます。特別なきっかけというよりは徐々に徐々に変わっていったというところの方が正しいのでしょうか。」

A
「様々なことをやりましたが、だからといって簡単にすぐ組織の風土が変わるわけじゃないので、積み重ねだと自分は思っていました。」

Q
「個人面談をとても大事にされて継続されてきたというお話の中で、はじめは何も話さない人がいたが、それでも繰り返し続けていく中で、少しずつ会話して話が進むようになったという話がありましたが。そのように何も話さなかった人が徐々に話すようになっていくきっかけは時間なのでしょうか。」

A
「時間だけではもちろん難しいと思います。何も話さなかった人は、個人面談じゃない時もその社員の近くに行って「どう?」とか「仕事きつい?」とかそんな話をさりげなくしながら、身近になれるよう努力をしてきました。どこに何の話題を取るかが大事で、例えば本当に一言も喋らなかった人は、ご本人がたまたま途中で病気になったのですが、そのことを色々聞いているうちに、どんどん身近になってきて「社長いつもそうやって心配してくれてありがとうございます」と言ってくれ、話してくれるようになりました。

Q
「OPAL時代にはファンド傘下期、MBO期、買収期と3つのフェーズがあって、それぞれ難しい場面があったと思うのですが、難しかった、もしくは後悔している意思決定があれば伺いたいです。」

A
「本当はOPALをこのMBOの後にそのまんま単独の企業として生き残らせてあげたかったという思いが強かったので、もっと新規客をたくさん獲得してあげていれば、ひょっとしたらもっと早く黒字化できたのではないかということが一番後悔していることです。」

Q
「大きな会社の手術をされたかと思うのですが、そのような際に通常であると外部コンサルを使うことも多いかと思いますが、実際使われたかどうかという点と、もし外部コンサルを使わずに全てご自身でされたという判断をされたのであれば、その理由を教えていただきたいです。」

A
「コンサルタントは東京納品代行時代も、OPALの時も使いました。銀行のアドバイスで入れたのですが、実現不可能な計画ばかりで、自分で代替案を出していました。現場に行かないコンサルタントが多いので、現場主義である私は個人的には使いたくないと考えています。」

Q
「会社を変えるのに時間がかかったということですが、その理由があれば教えていただきたいと思います。」

A
「むしろ会社を変えるのは時間がかからないと無理じゃないかと思っています。社員が10人だとしても同じ方向性で会社を発展させていこうと思うのは簡単なことじゃないからです。だから時間がかからない一気にやる方法としては、大リストラをかけて、言うこと聞かないと思った人間を全部やめさせればいいのかもしれません。しかしそれで本当に自分の会社が持っている良い文化、考え方、社員が持っている財産が引き継げるかどうかは疑問に思っています。」

Q
「MBOの際に社員がそれほどやめなかったということでしたが、そうすると会社としての資金繰りは結構厳しくなると思います。そういった状況を実務的にどのように凌がれたかというあたりを教えていただければと思います。」

A
「とにかく売り上げを伸ばすしかないと思い、自らが毎日朝から晩までお客さんのところを回っていました。また、たまたま私は元々財務や経理の出身だったので、担当と一緒に色々見てあげて、色んな工夫をして、従来のアバウトな経理を是正するなどして凌いでいました。」

Q
「MBOを検討時、特に従業員の方からどのような反応があったかというのをお伺いしてもよろしいですか。」

A
「友人にファンドの方がいて、その方に来ていただいて、MBOとは何かを社員に説明してもらいました。そして私の希望ではなく、金融機関のアドバイスであることを説明すると、社長のいうことであるならばやりましょうという反応になり、役員になったメンバーにはお金を出してもらいました。」

Q
「物流は煩雑で、可視化・計測がされておらず、また自らの仕事を説明できる方がほぼいないような会社が多い中で、可視化と機能化とプロセスの精度の継続的な向上を目指す活動をやっていくということはなかなか難しいと思われるのですが、その中でおこなわれたいくつかの具体的な施策を教えていただけないでしょうか。」

A
「仕事はしたくないけど車乗りたいからこの業界に来たというような社員が結構いて、そういう人たちに、いやずっと定年までただドライバーやっていればいいの?というようなことの意識付けみたいなのをしていかないといけないと自分も思って、いろんな仕組みを考えたりしました。例えば目標管理制度を導入しました。目標管理制度で大事なところは、それを達成した社員の報酬を上げないと意味がないと思っていましたので、給料もあげつつ、目標の50%に満たない人はダウンするといったルールを作りました。また例えば若手ドライバーを集めて土日に研修会を私が講師でやって、経営はこうあるべきだ、会社にとって社員がいかに大事かといったことをお話したりして、少しずつでも成長してほしいと思って彼らを育ててきました。その結果の一つとして、今の東京納品代行の役員は当時私がいた頃の課長が全員やっています。」

Q
「新柏倉庫に買収されたということなのですが、これはどちらからの声掛けだったのか、もしくは仲介だったのかをお伺いしたいです。」

A
「仲介会社からの紹介でした。」

Q
「複数紹介を受けた中で、一番良かった候補が新柏倉庫ということでしょうか。」

A
「実は新柏倉庫の前にほぼ決まっていた会社があったのですが、コロナの影響による業績悪化によって話がなくなってしまった。その後に好意にしていた仲介会社からの紹介があり、新柏倉庫の社長とも会って話をしたところ、良い方であると感じたので決まりました。」


「社長の人柄もよく、おそらく文化として合うだろうということで意思決定されたと思うのですが、一方で今OPALにおいて働かれている社員から新柏倉庫のやり方に少し違いを感じているという相談が矢野さんのもとに届くという話もありました。このようなことは予測できていた事象なのでしょうか。」

A
「あまり予想できていませんでした。実は話がまとまる前に社員を連れて、新柏倉庫へ行き、社長や幹部とコミュニケーションをとってもらったことがありました。その後に社員からも新柏倉庫だったらいいという声は上がっていました。」

Q
「売却前後でギャップみたいなものは少なからずあったということなのでしょうか。」

A
「別の会社なので当然です。それで私は仕方がないと思っています。」

Q
「これまで社員の方々と様々な対話をされてきたかと思うのですが、社員同士の対話の機会みたいなところを設けたのか、それとも矢野さん自身が社員にかけあうことでやってきたのかということをお聞きしたいです。社員同士の対話のあり方についても触れていただけると幸いです。」

A
「物流業界というのは現場に入りきりになっているため、横同士のコミュニケーションがうまく取れていない会社が多いと思います。OPALもそうでした。そのためコミュニケーションを取る場を作らなきゃいけないと思い、バーベキュー大会やボーリング大会を開きました。加えて制度として1on1を作り、課長以上に実行させました。また若手のドライバーの勉強会では、わざといろんなセンターのドライバーを呼んで話し合いをさせるといったことも行っていました。」

以上

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