2022-02-01
味の素コーポレート戦略部 井上氏講演
ペンチャースピリットを失わせないPMIで重要なことは何か?
M&Aによって競争力向上を試みる企業は増加していますが、日本では米国に比べて、まだまだスタートアップの買収が少ない状態です。その理由の一つとして、買収後にスタートアップの強みを維持しながら、いかにシナジーを生み出していくか、という課題に的確な答えをだせず、M&Aを躊躇してしまう企業が多く存在していることが考えられます。
「ペンチャースピリットを失わせないPMIで重要なことは何か?」について、2021年5月より味の素のコーポレート戦略部に在籍している井上舞香氏に講演をしていただきました。井上氏は、それ以前コンサルタントとしてMAVIS PARTNERSにも所属していたこともあり、“外”から見た味の素⇒“中”から見た味の素、中小企業⇒大企業といたギャップを踏まえた視点で考察頂いています。後半では、研究会の参加メンバーからの質疑応答も行われ、上記のテーマについてインタラクティブに理解を深められる機会となりました。
当日の内容をダイジェストでご紹介いたします。
はじめに~コーポレート戦略部の紹介~
「私が所属する味の素のコーポレート戦略部は、もともとは経営企画部の中の一つのチームだったのですが、M&Aを積極的にやっていくという際に、そのチームがスピンアウトしてできました。役割は味の素グループの非連続的成長の推進統括・M&Aのガバナンス機能も担っています。業務内容は、2010年代にはM&AやJV、資本提携、資産の買収の案件の推進支援がメインの業務となっていました。ただ、2020年以降、オーガニック成長と構造改革重視の経営方針となり、M&A自体は減っている状況です。ですので、最近は非連続成長のための戦略企画・立案に注力しています。」
「味の素のCVCについても少し紹介したいと思います。CVCは2020年12月に立ち上がり、金額的にはそれほど大きくはないですが、1社あたり5億円くらいの規模の目安でやっています。CVCはベンチャー投資委員会で意思決定をしますが、その委員長がCEOであることから、トップ直轄で迅速な意思決定ができています。投資ステージに関しては、資金調達前のシードの企業でなく、既に一度資金調達を行ったようなアーリー~レイターステージの企業を対象としています。投資対象領域については、特に「WELL-BEING」や「地域地球との共生」がメインフォーカスとなっており、それにかかわる事業をしているスタートアップに、国内外問わずアプローチをしながら、投資のチャンスを伺っているという状態です。」
本日のテーマ「ペンチャースピリットを失わせないPMIで重要なことは何か?」
「スタートアップの買収というのは、日本ではまだ盛んでないですが、特に米国ではスタートアップのEXIT先の9割がM&Aという状況です。日本は68%がIPO、32%がM&Aなので、米国はかなりM&Aの比率が大きいです。我々が注目している同業のネスレ社においては、全体戦略として「オーガニック成長」を重視していますが、投資によって成長を加速していく領域は明確にされており、スタートアップの買収も実行されています。では「なぜ欧米の大企業ではスタートアップの買収を上手くできているのに、日本の大企業でスタートアップの買収がなかなかできないのか」という疑問を抱き、今回のテーマに至りました。」
「経産省のレポートの中では、スタートアップの買収の阻害要因が整理されていますが、そこではバリュエーションやのれんの減損にフォーカスされています。しかし一方で、PMIが上手くいかないとか、人材の留保に失敗するというような、買収後にどのようにスタートアップを扱っていけばいいのかということが分からず、躊躇をしてしまう会社も多いのではないかと、味の素に入って改めて思いました。直近私は、医療食を手掛けるキャンブルック社の経営陣とプロジェクトを一緒にやらせてもらい、その中でキャンブルック社のPMIが上手くいっている印象を抱いたので、今日はこの事例をベースにお話をしていけたらと思っています。」
「味の素では2017年に、米国のメディカルフードの市場に参入するということで、医療食ベンチャーのキャンブルック社を買収しています。キャンブルック社は、先天性の疾病患者向けの医療食を主に提供している会社です。その後は、味の素キャンブルック社主導で、2020年にアイルランドの医療食ベンチャーの買収を実行しています。PMIは順調で、キャンブルック社を買収した際のプレスリリースでは、医療食で100億円規模の事業を生み出すという方針を掲げていましたが、実際にそのレベルが見えるところまで来ています。このアイルランドの会社も買収時点では、設立10年未満、従業員も26名ということで、ベンチャー気質強めの会社ですが、こちらもキャンブルック社がワンチームで見ることで上手くいっています。なぜこれらM&Aが比較的上手くいっているのかを考えてみたときに、買収前後の両方に要因があると考えています。」
買収前段階の成功要因とは
「買収前段階の成功要因は三つあると考えています。一つ目は、当社のアミノ酸に関する知見・技術というコアコンピタンスが活かせる領域だったことです。医療食はアミノ酸が使用される食品なので、そのような知見が活かせる。また、当社の美味しさを設計する技術も活かすことで、相手にとっても当社と組むことのメリットが明確だったのかと思っています。二つ目は、2017年の完全子会社化する前に、ファンドを通じてマイノリティ出資も行ったことです。そこでインサイダーとなることで、研究を通じた協働を行って、互いのカルチャーフィットを確認できたこともポイントだと考えています。三つ目の理由として、戦略策定からPMIまで同じ担当者が担ったということも挙げられると思います。交渉段階から信頼を構築している人が、少なくともDay365までは一気通貫してやることで、信頼のベースを構築することができ、シナジーも出しやすいということを担当者も語っていました。」
買収後の成功要因とは
「買収後のポイントとして、今回のテーマの題名でもある「ベンチャースピリットを失わせないPMIで重要なこと」とは何だったのかと考えたときに3つ挙げてみました。一つ目は、組織構造的な面で、出島でトップのリーダーシップを活かせる環境を作ること。二つ目は、ルール面で、本社のガバナンスを一律に当てはめない、そしてガバナンスの意図は、基本は理解されていないし、覚えられていないと心得ること。そして三つ目は、学ぶ姿勢は必須、一方でリスペクトし過ぎも禁物。また、共通して人材が重要な要素になってくると思います。一つ一つ詳細について話していきたいと思います。」
1:出島でトップのリーダーシップを活かせる環境を作る
「味の素に来て私が最初に抱いた感想としては、大企業は中小企業に比べて断然階層が多い、組織の壁が高い、そして自分もどんどん大企業の空気に吞まれかねない、ということでした。そして、それは買収された小さい企業についても同じことがいえると思っています。キャンブルック社は本社から見ると孫会社ですが、本社の中には階層が多く存在しており、大きな組織に入ってしまうとスピーディに意思決定をすることが難しくなってしまいます。現在、メディカルフード事業は日本では行っておらず、海外でのメディカルフード事業の事業推進はキャンブルック社が主導で行っています。M&Aや投資、重要な意思決定については本社に稟議が上がってきますが、日々の事業の実質的な責任権限はキャンブルック社が担っています。また、出島にすることでベンチャー的な仕組みはそのまま残しています。例えば数十万円単位の計画外のキャッシュフローも毎週モニタリングされているそうで、これは大企業になってしまうと失ってしまう感覚です。ただ一方で、出島にしただけでは孤立してしまい、シナジーを出すための協力が難しくなってしまうことから、日本人の出向者を送るといった本社側のバックアップは必須だと考えています。シナジーを出す上での社内人脈はとても大事だということも私自身実感しているところです。一方で、本社だけを見て仕事をしてしまうと、現地側の信頼が獲得できないので、しっかりと現地の企業を良くしようというマインドを持っており、時には本社と戦う姿勢をも辞さない出向者が必要であると考えています。」
2:本社のガバナンスを一律に当てはめない
「これも私の最初の感覚ですが、大企業には色々な規定が存在します。しかし、正直何を読めばいいかよくわからないという状況で、外国人から見たら更に理解が難しい。だから、企業に合ったガバナンスの適用が必須なのだと感じました。この案件では、対象企業の実態に合わせてガバナンスルールを段階的に導入するということも行っています。
また、重要なガバナンスのルールは日本人出向者が解釈して伝えることも大切です。ガバナンスの規定は文書化されているものの、それを読んでも理解が難しいし、なぜそのようなルールがあるのかが分からないので、日本人出向者がそれを伝えるというのは基本動作です。さらに、細かいルールの実行は、日本人出向者がサポートをすると割り切った方がスムーズに進むのだと思います。すべてを対象会社に求めてしまうと、事業が上手く回らなくなってしまうので、細かいことは本社側の人間が担って、ベンチャーの良さを失わせないということは必要だと思います。」
3:学ぶ姿勢は必須、しかしリスペクトし過ぎもNG
「三つ目に関してはマインドの話ですが、やはり仕事に対する考え方はかなり違うということを感じました。ベンチャー企業のトップは、事業に対するパッションがサラリーマンの比ではないと感じます。ビジネスセンスやリーダーシップ、パッションなど見習うべき部分は見習うべきだと感じます。一方で、リスペクトを持ちすぎてイエスマンにならないことも大事だと思います。やはり刺激のない組織からは、ベンチャー気質の人は去っていく。例えば、日本の大企業的な“定例会”は淡々と進みがちで、活発な議論が行われるということは多くないのではないでしょうか。一方でキャンブルック社にとっては、質疑応答が活発になされることはウェルカムであり、こちらとしても、彼らを飽きさせない刺激を与えられるような存在でなくてはならないと考えています。また、パッションで押し切られて言うべきことを言えないということも避けなくてはなりませんので、常に本社側は冷静に分析することも求められます。」
「ここまでの三つがベンチャースピリットを失わせないPMIで重要なポイントということで、直近の事例を見て感じ取ったことで共有させていただきました。これは個別の事例に基づいた個人的見解なので、これが全てではありませんし、今後もブラッシュアップしていきたいと感じています。味の素はM&A巧者と言われがちですが、自分たちは全然そのように感じておらず、常に試行錯誤を重ねています。今後もこのようなM&A研究会で、みなさんがお持ちの事例を相互に共有することで、価値がある機会にしていければいいなと思います。また、私たちは、スタートアップに限らず、中小~大企業との連携もしていきたいと思っているので、コラボレーションができる機会があれば情報交換していけたら幸いです。以上で、私からのプレゼンは終わります。」
参加者との質疑応答
Q
「対象会社のスタートアップとしてのスピード感やユニークさを保ちながら、如何に協業効果を出すかというバランスのとり方に関して、キーになる点はどういう点とお考えでしょうか?」
A
「これに関しては、まさに今日お話しをした点がポイントだと思います。やはり組織というところで、いかに対象会社のリーダーシップを活かせるような組織にしていくか、ルールを柔軟にしていけるか、あとはスタートアップの良さを失わせないように周りがサポートすることが大事だと認識しています。」
Q
「該当分野に専門性や見識が薄い中で、どのようにスタートアップ企業を目利きすればよいのか、ポイントをお伺いしたいです。」
A
「これはとても難しいポイントだと思うのですが、最初に数多の選択肢がある中で、どこにアプローチをしていくかというポイントに関しては、どういったファンドが投資をしているか(有名で筋の良いファンドが投資しているのか)、特にシンガポールなどでは大学や政府の研究機関などからスピンアウトしたスタートアップがあるが、そういった血筋の良し悪しとかを見ながらピックアップをします。技術のことに関しては、コーポレート戦略部の人間はエキスパートではないので、そこの技術と関係性の強い事業部に一回投げてみて、実際に優位性を確認しながら進めていっています。」
Q
「CVC投資対象領域は既に4つほど決まっている中で、関連するものを投資対象先として見ているという話がありましたが、投資実行する方針をどうやって社内で立てているか、かつ、対象会社に対してどのように理解を得ているのか」
A
「我々はリターンだけを求めているわけではないので、シナジーが部署を横断しながら生まれるかという視点で、CVCで投資をするかの検討をしています。どう対象会社を納得させているかに関しては、技術面や製造面のサポートなど、組む企業によって何を必要としているのかが変わるので、その部分を明確にした上で先方に説明をしています。」
Q
「投資領域が未来志向ということをおっしゃったと思うのですが、味の素は長期的にこういうことをやろうと思うというビジョンまで、先方に説明して巻き込んでいくという感じなのでしょうか?」
A
「そうですね。大前提として、食と健康の課題解決企業として健康寿命を延ばしていくという価値観は納得してもらった上で、出資していると思います。」
Q
「戦略ありきなのかM&Aありきなのかという類の質問がありますが、先ほどの話を聞くと味の素さんは長期ビジョンや戦略ありきでM&Aを考えていると理解したが、そういう理解で合っていますか?」
A
「そうですね。戦略ありきを志向してはいます。ただ、事業部側は戦略自体が曖昧な部署も存在するので、そのような部署に対しては具体的の弾(持ち込まれ案件、スタートアップの紹介)をぶつけながら、方向性を具体化することを目指しています。」
Q
「味の素はCVCの領域でwell-beingを掲げて出資先にもそれを納得してもらうという様に、理念やビジョンに一貫した戦略をとられているという印象を受けました。こういった理念やビジョンを志向した活動は社員一人ひとりにも染みわたっていると感じますか?」
A
「そうですね。ASVと言われている我々のパーパス「食と健康の課題解決企業を目指す」というところは、社員に落とし込まれているのではと周囲を見て感じています。社内のFacebookのようなコミュニケーションツール内では、ASVに関連する取り組みを紹介するという投稿は、日々上がってきていますし、浸透度は比較的高いと思います」
Q
「今回もキャンブルックさんが主導でアイルランドの企業を買収するということがございましたが、買収計画に関してもキャンブルックさんが決めているのか、味の素と共同で検討したのかが1点目。もう一つは、創業者企業のモチベーションの管理について、言える範囲で経済的なモチベーションと、定性的なモチベーションの上げ方として、どのようなことをしたのかを伺いたいです。」
A
「1点目の誰がプランニングをしているのかということに関しては、欧米に関してはキャンブルック社が主体で検討する場合が多いです。一方アジア等欧米以外の地域については、本社側の主管部署が検討を行うこともあります。2点目のモチベーション向上に関しては、経済的な部分についてはあまり存じ上げていないのですが、定性面としては、メディカルフード事業で、世界中で病気で食べたくても食べられない人のためになっているというベネフィットが原動力になっており、それを成し遂げるための金銭的・技術的なバックアップが受けられるということにメリットを感じて、味の素グループでやってもらっているのかなと個人的には見ています。」
Q
「味の素は自社のリソースをあまり活かすことができないかもしれない領域への展開も考えているのか、その際の目利きはどうするのかということを伺いたいです。医療食に関しては、食事というところで既存事業と似た要素がありますが、そうでない領域には進出を考えていないのかということを教えていただけるとありがたいです。」
A
「デジタルサービスに関しては、押さえるべきポイントが既存事業と違い、我々にとっての新領域なのかと捉えていますが、目利きのためにやっていることと言えば、まずその領域のスタートアップとなるべく多く会って情報を仕入れたうえで、その領域で勝つためには何が必要なのかを突き止めています。その要素を押さえられている企業はどこなのかということを検討して絞っていっています。」
Q
「何が勝ち筋というポイントはどこから知見を仕入れているのですか?例えばコンサル会社に相談して、こういうことが勝ち筋になるよねといったことを考えるのか、経営者の熱意で選ぶのか、その辺はどのようにしていますか?」
A
「コンサルに調査を依頼しているケースもありますが、CVCを担当している社員が言うには、スタートアップの創業者に話を聞くのが一番事業の理解が深まると言っていました。また実際に顧客がついているか、が見極めのポイントにはなると思います。」
Q
「可能な範囲で結構なのですが、キャンブルック社のPMIについてもう少し詳しくお話を伺いたいです。我々もスタートアップを買収した後に、スタートアップの強みをどのように生かしていくか悩んでいます。ポイントとして出島を作るということをおっしゃっていたが、そこをもう少し詳細に知りたいです。例えば、稟議の規定を対象企業に合わせて調整するなど具体的な仕組みがあれば教えていただきたいです。またガバナンスについて、ここは当てはめたがここは当てはめなかったというルールがあればそれも知りたいです。」
A
「出島のメリットは、本社でやろうとすると利害関係の調整でスピードが落ちるが、出島の場合は横やりが入らず意思決定がスピーディにできることという印象を持っています。あとは、ガバナンスについては、コンプライアンスなど最低限守ってもらわなくてはならないことや、M&Aなどについては、全社一律の決まりを定めています。そういったコーポレート側の重要なガバナンスはそのまま適用しているという印象です。一方で、ビジネスの面で本社が口出ししても仕方のないという部分は、ガバナンスは柔軟に、或いは段階的に適用しています。本社が口出しすべき部分と口出し不要な部分を本質的なところで分けていくのが必要なのかと個人的には思います。」
Q
「組織的には、どこかの事業部の下についているというよりは、コーポレートに近い直属組織のように編成されているのですか?」
A
「キャンブルック社に関しては、会社としては独立しており、地域的な管轄する会社や事業部を統括する会社があったりなどはします。ただ、キャンブルック社も誰にどのタイミングで根回ししておけば良いかなど、だいぶ学んできていると印象がありますね」
Q
「コーポレート戦略部のスタッフの構成を知りたいです。どのようなバックグランドを持っているかや技術を持っている方はどれくらいいるのか、また専門性が高くてその部署に長くいるのか、それともローテーションでそこに長くいるのか、その辺の概要について教えてほしいです。」
A
「バックグラウンドとしては、部長のトップは元JPモルガンで証券会社に長くいた方です。その部長の下には10人ほどメンバーがいるという構成なのですが、そのメンバーの半分は外から、半分はプロパーという形になっています。外から来た方は、投資銀行や監査法人、コンサルの方がいます。プロパー側は、技術系が2~3名、他に営業や財務、知財出身の方というような形で、バラエティの豊かな構成となっています。ただ、ローテーションとしては最長5年ほどになっていて、ずっとそこにいるというよりは、事業部でその経験を生かしていくように、人材育成機能も兼ねています。外から来た人間も、最初はコーポレート戦略部で仕事をして人脈を作りながら、最終的に事業部に行くケースが多いです。」
以上