M&Aインタビュー #3 早稲田大学ビジネススクール 山田教授

2020-03-10

当社団では、研究会開催に加えて、メインの活動として、M&Aプロフェッショナル インタビューを行います。各界のM&Aプロフェッショナルにご協力いただき、M&Aに対する想いや、大事にしていることをお話していただきます。読者にとって、M&Aに関するご自身の考えや哲学を振り返るきっかけになれば幸いです。


第3回目は、2020年2月28日に、早稲田大学ビジネススクールの山田英夫教授にインタビューさせて頂きました。

早稲田大学 大学院経営管理研究科 (ビジネススクール)

山田 英夫 教授

慶應義塾大学大学院経営管理研究科修了(MBA)。三菱総合研究所にて大企業の新事業開発のコンサルティングに従事。1989年早稲田大学に転じ、現職。専門は競争戦略論、ビジネスモデル。 博士(学術、早稲田大学)。アステラス製薬、NEC、ふくおかフィナンシャルグループ、サントリーホールディングスの社外監査役を歴任。 主著に、『異業種に学ぶビジネスモデル』『競争しない競争戦略』以上:日本経済新聞出版社、『成功企業に潜む ビジネスモデルのルール』ダイヤモンド社、『マルチプル・ワーカー』三笠書房、『ビジネス・フレームワークの落とし穴』光文社、『本業転換』(共著)KADOKAWAなどがある。


Q. M&Aに最初に出会ったのはいつですか?

私が三菱総研に入社した頃、当時はM&Aとは呼ばれておらず、「買収」や「乗っ取り」と呼ばれていました。ブリヂストンがファイアストーンを買ったというのが、ニュースになる時代でした。三菱総研のコンサル部門は経済研究所をルーツとしているので、M&A仲介のような仕事はありませんでした。そのため、M&Aに直接かかわったというよりは、クライアントの中で、たまたまM&Aを検討している企業にかかわるということはありましたが、M&Aを仕掛けた経験はありません。買う前の前工程から入ることはありませんでしたが、強いていえば、PMIに関わったことはありました。それは、3社統合した会社が今後どうやっていくかというプロジェクトでした。

 

当時は「買収」には悪いイメージがあり、会社を会社が買うことなんてありえない、まして日本企業が海外企業を買うことがあれば、ビッグニュースでした。その後、「M&A」という色のつかない中立的な言葉が出てきたことで、徐々に一般に普及してきたのかもしれません。三菱総研を辞めた後に、三菱グループの中に5社程あった化学系の会社が一つに合併して三菱化学になったのは、ビッグニュースだったと記憶しています。当時三菱総研では、『三菱vs.住友の研究』をやっていたのですが、三菱系は化学系の会社が多すぎる一方、住友は住友化学の1社だけという特徴がありました。その時に、いずれ三菱系は再編があるのではという話をしていました。その後、三井と住友が一緒になるとは、当時は夢にも思わなかったですね。

 

Q. 当時のPMIはどのようなものだったのですか?

当時PMIという言葉はなく、「経営統合」のような言葉が使われていたと思います。
三菱総研としては、M&A後の事業ドメインをどう定めていくかというプロジェクトをやっていました。複数の会社がただ一緒になるだけでなく、一緒になった後、どのようなドメインで戦っていくのか。それを組織に落とし込み、シナジーを発揮できるような仕組み作りしました。当時のクライアント企業で、我々が提言したある組織が、今でも機能してくれいているのは、とても嬉しく思っています

 

Q. その後、三菱総研からアカデミックの世界に移ったわけですが、社会人になった当初から、アカデミックに戻ることは想定していたのですか?

アカデミックの世界に入ることは、当初は全く想定していませんでした。一般企業を経て、自費で慶應のMBAコースに行きました。その頃は、専門職で飯を食っていきたいという想いもあり、MBA取得後、三菱総研に入りました。当時は、三菱総研に初めてコンサルティング部隊ができて、そこに来ないかと誘われて入社しました。入社当時は、「経営コンサルティング」という言葉も一般的ではなく、入社した部署は「応用経済部 経営経済研究室」という名前でした。入社してみると、コンサル経験者も少なく、MBAで学んできたフレームワークも、お客様に持っていくと、それなりに評価された時代で、今から思えば良き時代でした(笑)。

 

三菱総研には8年在籍しましたが、やっている間に、提言の骨子は一人でもできるのではと思い始めました。もちろん仕事をとるには、三菱総研の看板は必要ですが、我々のプロジェクトをやるのに50人もいらないし、数人でできることも多い。当時プロジェクトをやっていると、プロジェクトメンバーが3人位の時が、効果も効率も一番良く、10人以上関わるプロジェクトは、面白味が減ると感じていました

 

そんな時、自分たちがコンサルでやってきたことをまとめて本を出そうということになりました。その本を書くタイミングで、複数のお客様から少しずつお金を戴いて研究成果を出すマルチクライアント・プロジェクトに携わり、その時に大学の教授に意見をもらう機会がありました。その中には、大御所の野中郁次郎先生もおられました。
そのようなプロジェクトに携わる中で、発信することの重要性を感じました。ただ当時の三菱総研では、若い一社員が世の中に発信するということは許されず、悶々としていた時期もありました。

 

そんな折に、「早稲田でビジネススクールを強化するので来ないか」と誘われたのです。当時の早稲田には、ビジネススクールという組織はなく、システム科学研究所という組織でビジネススクールを運営していました。システム科学研究所、もともと企業からの受託研究を行う組織だったのです。研究所がルーツなので、今でも早稲田のビジネススクールは委託研究を受けています。他のビジネススクールではあまり委託研究などやっていないので、その意味では早稲田のビジネススクールは特殊でした

 

そこで、「三菱総研でやっている時より規模は小さくなるけれど、同じようなこと(受託研究)ができるよ」というのが殺し文句で、35歳で早稲田のビジネススクールに転職しました。

 

実際移ってみて、三菱総研の時と同じような事ができたかというと、やはり案件の規模は小さくなりました。また、それがメインではなく、ビジネススクールの教育で時間をとられるので、以前ほど毎日プロジェクトをやる事はできなくなってしまいました。そのため、その他の時間を使って、1人コンサルのような形でプロジェクトに参画したり、企業にレポートを書いたり、クライアントと研究会を組織してやっていく形が多くなりました。

 

Q. 社外監査役などを受けるようになったのはどのような経緯だったのですか?

2001年に山之内製薬の社外監査役に就任しました。きっかけは、山之内製薬の役員研修を5-6年やっていたことが大きいと思います。M&Aとの関係でいうと、2005年に、山之内製薬は藤沢薬品と合併し、アステラス製薬になり、合併した新会社の監査役になったのが、私のM&Aの原体験になります。

 

アステラス製薬は、日本の中でも成功した企業合併の事例と見られていますので、その合併の「前・中・後」全ての工程を見られたのは、貴重な体験でした。

 

アステラス製薬の社外監査役は、とてもやりがいがありました。今考えてみても、ガバナンス体制がしっかりしていたと思います。合併を機に、しっかり体制を整備しなければという意識があったのと、製薬会社はグローバル企業なので、コンプライアンスやガバナンス体制は進んでいたのだと思います。アステラス製薬という優良企業にいたため、不祥事に追い回されることはなかったです。
ただ、やはり合併の渦中は大変でしたし、感慨深い場面もありました。例えば、昨日まで一緒に役員会に出席していた人が、たまたまローテーションでOTC部門に異動したら、そのままカーブアウトされ、後に競合の第一三共の社員になったということもありました。

 

Q. 社外監査役としては、どのようにM&Aに携わってきたのでしょうか?

会社がM&Aを行う場合、社外監査役に事前に相談するフェーズというのは通常ありません。M&Aは、守秘義務とチェック体制をどうバランスをとるかが難しいです。M&Aはコンフィデンシャルなので、初期検討段階では、社長・副社長などとごく少数のチームでやっており、ある程度目途がついてから、取締役会に上ってきます。逆に言うと、少数で検討をしている段階では、監査役のチェックは行われません。取締役会まで上がってきた段階では、大筋は決まっていて、「こういう点はチェックしましたか?」という指摘はしますが、執行側から社外監査役に「どうですか?」と相談をしてくることはほとんどありません。買収価格のレンジが決まり、社長に一任、という段階で社外監査役がチェックしても、そこで案件の実行可否がひっくりかえることは、殆どないのが現実です。

 

Q. 取締役会では、社外監査役としてどのように意見を述べるのですか?

取締役会で、「こういうリスクは検討しましたか?」と尋ねることはあります。これは数社の社外役員を勤めたことで、勘所が見えてきた事もあります。この会社は、こういう所は一生懸命調べるが、こういう所は甘くなりやすい、というように、会社によって癖があります

 

異業種買収を検討する際は、対象企業の業界の人にとっては当たり前のことでも、自分の業界では知らない慣習などもあり、そういう時には、複数の業界を経験している人が社外役員にいると、色々な意見が言える。そこが社外役員の価値だと考えています。そのため私は、同じ業界の監査役はやらないポリシーにしています。

 

Q. これまで見てきたM&Aの中で、これは成功する/失敗すると思う案件の共通の特徴はありますか?

正直に言うと、「これは成功する」というよりも、「これは失敗するな」と思うM&Aの方が多い印象です

 

失敗する可能性の高いM&Aの特徴は、2つあると考えています。

 

一つは、未知の領域が2つある場合には難易度が上がります。領域が新しく、地域も新しい場合には、「未知×未知」となるため、リスクが高くなり、成功の確率は低くなります。

 

もう一つは、トップとM&Aチーム、アドバイザー皆が前のめりになって、誰からも「何故この会社を買うのか?」と問われていない場合です(アドバイザーは常に前のめりですが・・)。前のめりか否かは、企画書を見ていても分かります。「NPVがわずかにプラス」というM&A計画などは、要チェックです。

 

では誰が「なぜ買うのか?」を問えばいいのか。コンサルを入れるのが良いのか、そういうことを言える人を社内に置くのが良いのか。悩ましいのは、M&Aというのは、本質的に社長がトップダウンで決断するものであり、権力的にそれを止める人はいないということです。私が社長だったら、反対派の人は検討メンバーには入れないですよね。

事業会社でM&Aチームにいる人は一般に優秀ですし、プロのアドバイザーともやり取りできるよう、すごく勉強しています。モチベーションも高いし、プライドも高く、M&Aをやって結果を残したいという想いも強い。そのためM&Aを実行して結果を残すことが目的になってしまいやすい。買わないという決定も立派な決定なのですが、それでは成果が見えないですから。

 

一方で、成功するM&Aの要因もいくつかあると考えています。以下で3つ程説明します。

一つは、同規模の会社が合併する時には、トップ同士のケミストリーが大事だということ。企業文化というより、検討段階で、トップ同士のケミストリーが合わないと上手くいかず、破談になることが多いのではないでしょうか。そして合併すると、社長二人は要らず、どちらかが社長になるわけですが、二人の間の関係はずっと尾を引くものなので、トップ同士のケミストリーが合っていた方が上手くいくと感じます。

 

例えばアステラスの場合は、トップ同士のケミストリーがうまく合っていたことが成功要因の一つだと思います。これは目の前で見ていて、そう感じました。製薬会社のトップには、研究開発で成功した技術系の人が多い。在籍中に研究開発が成功する確率はかなり低いので、いわば“奇跡の人“なのです。ケミカル系の会社は、やってみないと分からないので、試行錯誤が許されます。そういったこともあり、2人のケミストリーが調和した例だと思います。

 

もう1つは、買った側がいかにガバナンスを効かせるかということがあります。特に日本企業がIn-Out型のM&Aを行った場合、買った当初は人が辞められては困るので、これまでの経営者に任せてしまう傾向があります。特に歴史のある会社を買った場合、そうなる傾向があります。

しかしM&Aはシナジーが生まれなければ、暖簾の分だけ割高に買っている訳ですから、トップが買った会社に出向き、新しいガバナンスを浸透させ、場合によっては、人事異動で意志を示すことも必要でしょう。

 

最後にもう一つ成功要因を挙げるとすれば、持ち込み案件より、自ら探すアプローチの方が成功確率は高いと思います。持ち込み案件の中には、他で断られてきている案件もあります。持ち込まれた案件が、自社のロングリストにあればよいですが、多くの会社はそのようなリストを持っておらず、持ち込まれてから「お買い得」と言われて、前のめりになってしまう。

 

理想は、評価基準を決めてから、案件を3つ程に絞り、その中から評価基準に沿って選ぶのが良いですが、3つの案が出てきてから評価基準を設定することが多いのが現実なのではないでしょうか。後者の場合は、絶対にバイアスがかかってしまいます。顔(会社名)を見てから評価基準を決めると、評価基準が意図的に選択されてしまいます。

 

本当は、「自分の会社はどういう姿になりたいのか」があって、足りないところのピースになる会社を探すわけですが、現実は持ち込まれた案件が、どうすればピースにはまるのかを考えてしまう。それが7~8割位なのではないでしょうか。

 

Q. M&Aの中で大事だと思うことは何ですか?

まずは、買った側がきちんとガバナンスを効かせること。日本企業は、株主の権利を振り回すことに慣れていないからかもしれない。日本企業同士ならばそれでも良いかもしれませんが、海外の会社の場合だと、それだとまずいですね。株式市場で評価もされなくなってしまいます。

 

2つ目は、前述した3者(トップ・M&A担当者・アドバイザー)が前のめりの中で、ストップやブレーキをかける役割を置くことができるか。「今回は買わない」というのも、M&Aの立派な成果です。例えば、社内弁護士や社内会計士を擁する会社が増えてきましたが、専門家である彼らであっても、はたして異論を唱えられるでしょうか。

 

実際問題、途中でディールをストップするのは難しいので、案件が持ち込まれる前に、自社がどういう会社を買うべきなのかを社内で握っておくことで、「途中でストップかける必要性をなくす」というのがベストなのではないでしょうか

途中でストップをかけると上から嫌がられるし、外部からだと情報も少ないので、言えることも限られます。一方、まだ案件が具体化していない段階で、社外から意見を言える機会を設ければ、社外の人財も上手く活用できるのではないかと思います。

 

ただし、どのような会社を買うべきかを前もって決められている会社は、過去何度かM&Aを実行し、失敗もあり、相当学習している会社だと思います。では、M&Aをやったことがない会社は、最初は失敗を覚悟しなければいけないのか

 

そこで、M&Aの経験が少ない企業は、自分の事業の一部を一度売ってみるのが良いと思います。そうすると、M&Aで何が起こるか、どのような工程で、どう金額が動くのか。仲介業者や買い手がどう動くのかが見えてきます。「買い」から入ると、工程全部を見られず、売り手の行動も客観的に見られないですよね。

 

これは、不動産と同じと考えてみれば良いと思います。1回目はうまくいかないことが多い。私も失敗した経験があります。1回目はどこまで値引きを要求できるのも分からない。デューデリジェンスも初めてなので、どこを見るべきかのノウハウもない。でも一回売ってみると、デューデリのポイントや仲介業者がどういう値付けをするかが分かるので、値引きの勘所も分かります。だから、不動産もM&Aも、最初は売りから始めると良いのではないでしょうか。

 

Q. ただ、失敗をなかなか生かせない企業も多いように感じますが、なぜだと思われますか?

昔、ソニーからビジネススクールに来た企業派遣生が、自社の失敗を研究したことがあります。ソニーは成功も多いが、失敗の方がはるかに多かったのです。そこで、失敗がどれほど引き継がれているのかを調査したところ、失敗は殆ど引き継がれておらず、引き継がれていたものは、下記のいずれかの場合だけだったようです。

 

一つは、過去にあることで失敗した人と同じ人が、次のプロジェクトで同じ問題に遭遇した時もう一つは、形式知化された時でした。形式知化に関しては、ソニーの場合、社長命令で、失敗した事業に関して当事者にインタビューをしてケースを作成しました。そしてそのケースを、部長研修で全員が受けたことで、その失敗が引き継がれることになりました。(パソコンのMSX、AX*での失敗が、VAIOの時に生かされました)

*MSX/AX:それぞれ 1983年/1986年に米マイクロソフトとアスキーによって提唱されたパソコンの共通規格の名称

 

ただし、M&Aの経験や異国の地で工場を立ち上げたなど、色々な経験を持っている人でも、その人は自分の経験を形式知化するのは得意ではないかもしれない。なぜなら、やっている最中は意識しておらず、ドキュメント化する時間もなく、また起業家は一般に、業を立ち上げるのは好きですが、ドキュメント化は苦手です

 

一方でM&Aの知見を持つ人が10~20年も担当を続けると、ノウハウは属人化してしまいます。また、M&Aのプロセスを経験した人は、そのノウハウを買われて、社外からスカウトされることも多い。M&Aを経験した人が後に次々と社長になっているのであれば、M&A部門はキャリアの一つとしてありかなと思いますが、どちらかというと「専門職」になり、M&Aアドバイザーとして独立・・・といった可能性の方が多いのかもしれません

 

昔私が遭遇したことなのですが、「デファクトスタンダードをとること」は大事なのだけれども、それに精通する特許部、知財部の方は、社内ではあまり出世せず、社長にはなれないという傾向がありました。専門職でいくのと社長になるのと、どちらがハッピーなのかは分かりませんが・・・。
今後日本企業のM&A人財を拡充・強化していく上では、M&Aの部署での経験を、社内でのキャリア形成の一つとして、どう位置付けていくかも課題かも知れません

取材・写真 MAVIS PARTNERS株式会社

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