2020-01-06
当社団では、研究会開催に加えて、メインの活動として、M&Aプロフェッショナル インタビューを行います。各界のM&Aプロフェッショナルにご協力いただき、M&Aに対する想いや、大事にしていることをお話していただきます。読者にとって、M&Aに関するご自身の考えや哲学を振り返るきっかけになれば幸いです。
第2回目は、2019年12月10日に、味の素 澤由紀子さまにインタビューさせて頂きました。
味の素株式会社 理事
グローバルコーポレート本部 コーポレート戦略部長
澤由紀子さま
国際基督教大学教養学部卒、ダートマス大学タック経営大学院MBA修了。三菱銀行を経て、メリルリンチ米国、メリルリンチ日本証券、JPモルガン証券にて約15年間M&Aアドバイザー業務に従事。2013年3月より味の素にて事業ポートフォリオの戦略立案、M&Aの企画・執行に従事。
Q 大学卒業後のファーストキャリアから、M&Aに関わってきたのですか?
大学卒業後のファーストキャリアは、三菱銀行(当時)でした。約7年間勤務しましたが、最初の配属部署はM&Aに関わる部署でした。当時、三菱銀行の本社には支店のお客さま同士のビジネスマッチングをサポートする部署があり、M&Aもその部署が担当していました。ただし、「M&A」という言葉や考え方自体が今ほど知られておらず、三菱銀行でもM&Aでフィーを稼ぐというよりも、お客様サービスの一つという位置づけでした。
この部署は、ビジネスマッチングを担当する業務提携グループと、国内M&Aグループ、海外M&Aグループの3つに分かれていて、業務提携グループに3-4年おり、残りの3年ほどを海外M&Aを担当するチームで過ごしました。海外M&Aでは主に、日本のお客さまが海外進出するサポートを行っていたので、三菱銀行でのキャリアの半分くらいはM&Aに関わる仕事をしていたことになります。
Q 当時の「M&Aの業務」は、現在とは違いましたか?
当時はEXCELなども無く、PCも部署に2-3台しか無かったので、Lotus 1-2-3*で表計算やバリュエーションをしていました。メモはもちろん手書きです。朝、出社したら、ファックスで何百枚と海外から契約書が送られてきていて、感熱紙が床に散らばっているような状況でした。ただBloombergだけは当時からあったので、主なやり取りはe-mailではなくBloombergのメッセージでした。海外とやり取りするときは「メールしてくれる?」ではなく「Blombergしてくれる?」だったのをよく覚えています。
*現在IBM傘下の旧ロータス・デベロップメント社が開発・販売していたパソコン用計算ソフト。名称の「1-2-3」は、1.表計算機能、2.グラフ機能、3.データベース機能 の3つの機能を併せ持つことに由来する。
日本がそんなレトロな時代に、クロスボーダーM&Aを担当していた時、相手先の外資系FAが持っているツールが最先端だったのです。PCもそれぞれ個人で持っていて、WindowsとかExcelを使っていました。相手から「”EXCEL”ファイルダウンロードしたの渡すね」と言われても、EXCEL自体を知らず、逆に相手が驚いていたぐらいです。そこで、「ここは遅れているのではないか、海外で本場のM&Aを見てみたい」と思い、三菱銀行を辞めてMBAを取りにいくことにしました。
Q MBA卒業後は、どちらの会社に入社されましたか?
MBA在学中にサマーインターンをした日本メリルリンチ証券に、MBA卒業後に入社しました。初めはNYで1年間、現地の方と仕事をしました。テレコムグループに入りましたが、当時ITバブルの真っただ中で、そのグループだけで150人くらいのメンバーがいました。当時のテレコムの最先端は携帯電話がまだない時代の衛星電話のイリジウムという会社でした。
日本メリル証券に戻ってきたころには日本もM&Aが活発になっていて、その後4年メリルリンチにいましたが、サマーインターンをしていた時には20人くらいの投資銀行部が辞めるころには100人体制になっていました。その後、当時の上司とJPモルガンに移籍して10年ほど在籍、そして、今は味の素に在籍しています。
Q 証券(IB)時代はずっとM&Aアドバイザリー部隊でM&A案件を扱っていたのですか?
メリルにいた時は、IPOや株の引き受けもやっていました。VolatilityがあるのでM&Aだけでは稼いでいけないし、人数がとても少なかったので、M&Aに関わらず、上の人がとってきたものは何でもやるような感じでした。業種も関係なく、トヨタのNY上場、NTTの政府株売り出しなどの案件をやりましたね。JPモルガンに入ってからは、最初30人規模の体制だったのが100人規模になっていき、その中で自然とM&A案件が中心になりました。
Q 三菱入社前の大学時代からM&Aに興味があったのでしょうか?
大学時代にアメリカに1年留学をしたのですが、留学先のクラスで特に優秀な人たちが「IBに行く」と言っていて、よくよく調べたらM&Aをやっているところだと知りました。帰国して就職活動を始めましたが、外資企業は選考時期がとても早く、4年生の夏に帰国した時にはもう日本の銀行くらいしか採用募集をしていませんでした。日本の銀行に勤めている先輩がいて、親しみがもともとあったのと、銀行だからM&Aに関われるのではないかという期待もあり、三菱銀行を受けました。
(大手銀行では希望部署に最初から配属されることは多くないと思いますが)部署に関しては、三菱銀行の面接の時に投資銀行やM&Aの話をしたことと、私が総合職第2期生だったという2点が希望部署に配属された理由だったかなと思っています。当時男女雇用機会均等法が成立してまだ間もない頃で、女子社員といえば窓口や男性のサポートの人というイメージで、わたしのような総合職は「珍獣」みたいなものでしたから、当時の先輩男性社員は私をどう扱っていいかわからなかったと思います。
Q 三菱銀行時代から大きな事業規模の案件が多かったのですか?
特にそうとも限らなかったように思います。最初に扱ったクロスボーダーM&Aの案件はカヤバ工業(現KYB)のスウェーデン企業の買収案件でした。各支店の顧客のビジネスマッチングでは中小企業案件が多かったと記憶しています。ただ、クロスボーダーでは確かに大きい規模のものは多かったかもしれません。メルシャン(現キリン)の海外のワイナリー買収案件など、それなりの規模の会社の案件を担当させてもらいました。
Q 入社前と後でM&Aへのイメージへのギャップは生まれましたか?
実は、漠然とM&Aをやりたいと言ってはいたものの、詳しいことはほとんど何も知らず、イメージも何もなかったので入社後のギャップも特にありませんでした。むしろギャップといえば、初めにも触れましたが、外資系FAとやり取りしていた時に感じた「私がやっていることはM&Aじゃないかもしれない」という衝撃の方が強く印象に残っています。実際、MBA後に外資投資銀行に入社すると、三菱銀行時代と業務の進め方が全く異なっていたので、その衝撃が一層強まりました。
Q 日本のM&Aの成長ともにキャリアを積まれてきた澤さんが感じられた外資系と日系の違いは、具体的にはどんなところにありましたか?
私は、メリルのNYにアソシエイトで入りましたが、特に英語がネイティブでもなかったので、ネイティブスピーカーの中で、付加価値を出すために、モデリング(事業計画、シナリオ分析、株価の感応度分析など)を鬼のようにやりました。メリルでは当然パッケージもあり、PCを使った作業でしたが、三菱銀行時代は事業計画作成も方眼紙で手書きでやっていたりしました。そういったテクノロジーの違いがまず1つですね。
また、働き方も今思えば、外資では本当に異常なほど働きました。出社した日付に帰ることができた記憶がほとんどありません。今でこそ働き方改革が始まっていますが、当時はそういったものもありませんでしたし、ものすごく労働集約的で、軍隊的に兵隊のように働きました(笑)。
あとは、意思決定の違いも大きいですね。NYは基本的にトップダウンでした。MDがCEOと直でやり取りしてそこで決まったことが直で降りてきて、まるで工場のようでした。その点、日本は割とボトムアップで下から事業部長も巻き込みながら進めていくので手作り感が強いと思います。
Q JPモルガンから味の素にはどのようなきっかけで移られましたか?
実は、味の素はJPモルガン時代の一番の顧客でした。味の素の大きい案件の7-8割は担当してやっていたので、もともと親しみがとてもあった中で、味の素の案件で一緒に働いていた方が誘ってくれました。「澤さん、そろそろ疲れたでしょう?」と(笑)。
Q M&Aに対して、アドバイザーとしての関わりと、味の素の一員としての関わりでは違いはありますか?
アドバイザーはディールをやる人であり、サイニングまでが勝負なので、サイニングまでどうエグゼキューションするかが醍醐味です。対して、事業会社はむしろそこから先、サイニング後にどう料理していくのかが醍醐味。投資銀行では基本的にPMIをやりませんから、今振り返ると、バリューチェーンの半分くらいしか見ていなかったように感じますね。
特に、味の素に入社したばかりの頃は、サイニングまでが勝負である投資銀行の考え方のまま、買うことを目標としてしまい、PMIのことをあまり考えずにエグゼキューションしたことは大きな反省点です。それは特にウィンザー案件のときに感じたのですが、その当時から比べると、会社も自分もかなり成長したと思います。
Q 澤さん個人としては、「アドバイザリーサイド」と「事業会社サイド」、どちらがご自分に合っていると感じますか?
若いころは体力もあったし、エグゼキューションが大好きでしたが、今は事業サイドとして同じ風景を違う角度から見ることがとても面白く、充実しています。エグゼキューションは24時間体制の戦いなので、やはり体力的にも精神的にもきつい。後は、15年もやっていたので少し飽きたというのもあります。M&Aアドバイザーはお客様や、バイサイド・セルサイドの違いで、それぞれ個性や手作り感がありますが、最初のドキドキ感は15年間もやると無くなっていきます。その意味では、今幅を広げて、M&Aを事業サイドから見られるのはとても新鮮で楽しいですね。
Q 元アドバイザリーサイドにいたからこそ、事業サイドで活かされている点はどのようなものがありますか?
やはり、私がアドバイザリーを元々長くやっていたということは、アドバイザリーサイドからしてみたら嫌だと思います(笑)。でも、アドバイザーの経験や知見があるからこそ彼らの苦労もわかるし、彼らの守備範囲内外のボーダーラインがわかっているというのは大きいですよね。事業側でアドバイザリー業務を全く知らないと結構理不尽な要求してくる顧客も多い中で、アドバイザリーサイドも「澤はそういうことをしない」というのをよく分かっていますから、その信頼関係はやっぱりあると思います。ただ、同じ経験があり、アドバイザリーサイドのことをわかっている分、「ここもっとできるんじゃないの」とか、つい言っちゃうことも多いので、そういう意味では私は厳しい顧客だと思います(笑)。
Q 澤さんから見て、良いFAの見分け方というのはどういったものがあるでしょうか?
最近、味の素は、現地主導で「この企業を買いたい」と意見が挙がることも多いです。もちろん、その方が良いのですが、東京と現地で考えていることが合わなくなること、一枚岩じゃなくなることが生じてしまいます。それを外から調整してくれるFAの存在はとても重要です。「現地ではこう考えているよ」とか、「本社ではこう考えているよ」とかアラートしてくれたり、社内だけでなく、カウンターパートや弁護士などのアドバイザーとのやり取りも含めてコミュニケーションエラーを察知して修正してくれると助かります。
単なる作業であれば、価格も1桁も2桁も安いので会計士に任せるだけで十分です。また、事業の情報も、社内の事業部の方が良く知っていますから、事業部やプリンシパルが生々しすぎて話せないことを全体のバランスをみて良いタイミングで外から上手く言ってくれる人がとても重要です。ただ、こういう人はFAチームに一人いればよくて、チームの全員にここまでのことを求めているわけではありません。実際にちゃんと動ける中堅が1人いれば十分です。偉い人がFAチームに入るといっても、最初の提案やキックオフに顔出すくらいで、あとの実務には入ってこないですから。
Q 澤さんの30年以上の長いM&A経験の中で、最も印象深いM&A案件はどういったものでしょうか?
やはり、味の素に入って最初に担当したウィンザー買収の案件でしょうね。プリンシパルとして最初に担当した案件で、今までFA時代にはプリンシパルがいる中で、それをサポートしながら交渉する立場だったのが、前面に立って判断して進めていく。現場でどうやって交渉していくか、交渉戦略などもアドバイザーと相談しながら判断して、進められたのはとても面白かったです。
Q 他社のM&Aでうまくやっていると感じる事例はありますか?
1つはダイキンです。補完的な大型M&Aを通して、大阪の空調メーカーがグローバルメーカーになった、分かりやすいM&Aの成功事例だと思います。空調は日本と海外でシステムが違いますが、自分たちに足りない地域や技術・システムを買っていて、結果を出していますよね。M&Aをしなければここまでグローバルの会社になっていないのではないでしょうか。
もう1つはアサヒビールです。海外で面を取る戦略で、スタンドアロ-ンでもシェアが高くて儲かるビジネスを買っている印象です。買うべきところを買い、売るべきところを売るということを淡々とやっているイメージです。国内が伸びない分、ビールという国際的にもとても分かりやすい単一商材できちんとディシプリンを持ちながら買収していると思います。キャッシュフローをきちんとみて、シェアNo1か2ではないと買わないというディシプリンがありますし。
Q M&Aをやる上で大事にしているルールはありますか?
ルールは基本作りません。M&Aはルールに合わない生物というか動物のような気がします。タイミングと誰がやるかでも変わってきますし、対象個社ごとによっても違います。それだけひとつひとつの案件にそれぞれ個性があるので、ルールが独り歩きしてしまうようなことは避けたいです。そういった意味ではM&Aは買った後に煮るも焼くも自由で、誰がやるかによって全然違うという点においてまた魅力がありますね。
Q 澤さんがM&Aをやる上でどのような価値観を大切にしていますか?
まずは、買うことが目標ではないということです。PMIは、子会社のマネジメントと結局一緒で、「とても難しいと覚悟して取り組む」ことです。特に、あうんの呼吸(ハイコンテクスト文化)の日本企業(ホーム)で育ってきた日本人としては、M&Aはアウェーの勝負であることを分かっておかないといけない。アウェーの世界というのはつまり、現地の人を見ながら、どうすれば現地の人が良くなるかを考え、異文化の中でのローコンテクストコミュニケーションを行わなければならないということです。現地の相手方の言語や文化を学ぶこと、そして何よりも理解しようとすること、そういったことを通して、自分たち側の不文律も相手側の不文律も全体的な視点で捉えることが大事だと思います。
例えば、M&Aで資本関係上はマジョリティになったかもしれないけれども、人数的には圧倒的なマイノリティですから、そこから実際のオペレーションをうまくあわせて、シナジーなり事業計画を出すのは同じ会社のある事業部でやるより100倍大変です。それは自分が圧倒的マイノリティの側で、向こうの会社がこれまで築き上げてきた企業文化やルールの中でやらなければいけないから。
私はメリルやJP時代に当時本社から派遣された外国人上司の何人かは、多額の報酬をもらいながらも、日本語もできなければ学ぼうとすることもなく、本社ばかりを見ていて、とても日本の顧客に連れていけないような状況だったのを、今の逆側(=子会社側)からよく見ていましたから、絶対あれをやったらだめだという意識が強くあります。
Q 澤さんの視点からどのような基準軸でM&Aの成否を判断していますか?
人生と同じで、M&Aもそれが成功だったか失敗だったかは、どの時点で振り返るのか次第だと思っています。死ぬときに幸せなのが一番ですが、もし死ぬ前の10年前までは大変楽しい人生でも、最後10年間が不幸だったら、幸せな人生だったのか不幸な人生どちらだったのかというのは難しいですよね。M&Aもそれと同じで、どの時点で測るかによって違うということです。もちろん売ったら終わりで、その時点で勝負がついていることになりますが、売るまでは成功とも失敗とも言えないですよね。
M&Aの成功は、狭義ではもちろん戦略仮説が達成されたか否かということになっていますが、広義では、M&Aによって会社の規模なりレベルが上がるということだと思います。例えば、味の素は、ウィンザーの案件でアメリカ国内ではステージが上がりましたし、先ほど触れたダイキンもいい例です。武田のシャイアーの案件とかフジフィルムもそうだと思いますし、海外の例だとダノン、ネスレ等、M&Aを活用して、ポートフォリオを大胆に入れ替えて、自分の行きたい方向に会社を向かわせるということを上手くやっていると思います。
Q 「日本ならではのPMI」はあると思いますか?
日本ならではのPMI…あまりないですが、強いて言えば、不文律が多いことでしょうか。同質な文化を共有し阿吽の呼吸で察し合ってきた組織をもつ日本企業というのは、違いがある中でそれを常に文書化して法の支配を大切にしてきた組織をもつ欧米系企業とは、やはり大きく違いますから、その組織文化はPMIのやり方にも大きな違いを生んでいると思います。
ネスレなど特にそうなのですが、先ほども出たような欧米系資本のコーポレートというのは基本的にジョブディスクリプションがしっかりしていて、子会社に行った時にもちゃんと相手に対する期待値を言語化して伝えられるし、違う文化や言語をバックグラウンドに持っている会社組織から来た人もきちんと理解し合えるようになっています。その点、日本は基本的には不文律、暗黙の了解やルールのようなことが多過ぎるので、アウェーでPMIをやっていく際にぶつかる壁ができやすいという点は特徴としてあると思います。そういった意味では、おそらく欧米の方がM&Aに向いている組織文化なのかもしれません。
そういったことを踏まえると、日本組織は、稟議の過程や決裁権限など、業務に必要なことはもちろん明文化されているのですが、そもそもなぜそういったルールが存在しているのかといった成り立ちや、背景にある会社の歴史を、誰にでもわかる形で明文化しておくべきだと思います。そういった自分たちの組織を見える化することが、日本企業のクロスボーダーM&Aに求められていると思います。
取材・写真 MAVIS PARTNERS株式会社